損得勘定だけで動く人生から見えてくる行く末の大きな違い

人のふり見て我がふり直せと言いますが…

損得勘定だけで動くと結局損をしているのではないかしら?
と感じる場面に出会う事もあります

一銭にもならないことは損…
そんな固定概念を持っていると世界は広がらない
そう思っています

人生は一度きり
まずは経験すること、体験することに意義があります

そして本来自分の好奇心、ワクワク感、楽しみ、面白いと感じる気持ち
そういったところから掘り下げていく
どんどんハマっていく
そこに人生の目的があるように思います

きっと他人からみると
全然役にも立たない事かも知れません
全然一銭の得にもならない事かも知れません

 

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物事の価値基準をどこに置くか

頭だけで…
損得だけで…
物事の価値基準を置いてしまうと
お仕事でもボランティアでも
儲かりそうだからやる、自分の役に立ちそうだからやる
そこばかりに目が行きがちです
どこまでも自分主体の目線からしか物事を捉えることができません

それでは人としての枠が広がらないのではないかしら
また結局本当に心からやりたいことをやっていないのではないかしら
人生を本当の意味で楽しむことが出来ないかも…
そんなことを感じています

勿論最初は自分にとって得な事
そこから入ってもいいと思うのです
そしてやっていくうちにどんどんハマって
損得どうでもいいからやりたい!
そう思えたら最初は損得勘定だったとしても
それはそれで一つのきっかけになるのですから

損得勘定が悪いというわけではない

私だってあちらのスーパーよりこちらのスーパーで買う方が得!
などの節約はしますので…
お買いものする時に損か得かの判断は家計にとっては必要です

ただ自分の得ばかり意識が行きやたら値切るのはちょっと違います
対価交換はモノとお金、いわばエネルギーの交換です
値切ることで片方のエネルギーを下げてしまうのではなく
そこはお互い気持ちよく交換するものだと思います

この世は循環世界です
モノもお金も感情も全て循環しています
同じ循環をするのなら気持ちよく次へ繋ぐことが
結局のところ巡り巡って自分のためでもあります

そこに自分と社会がどう関わりたいのかの姿勢が現れてきます

自分の得と社会の得

あと自分がどう動いたら人にどう思われて得なのか…
そこばかりに意識が行く人は近づくと怖いかもしれません
平気で人をはめたり、いいとこ取りしたりしますので

結局自分の得だけに意識が行く人は社会の得にまで意識が行きません
自分は損してまで社会の得に貢献しようとはしません

ただもし名声が付いてくるなら一見損してまで貢献している自分をアピールはします
人を踏み台にしてまで社会的な地位を掴んでいきます
社会貢献している姿を利用して信用を得ようとします

ここが見極めるのが難しい所かもしれません

私の周りの本当の意味での社会に何がしかの貢献をしている人は
結構地味なところで10年も20年も活動をしてこられています
自ら人にアピールすることもしていません

本物は目立たないところでやるべきことをやっています

だからSNSなどで派手にアピールする事へ抵抗があります

どちらも自分のやりたいことをやっているに過ぎないのですが…
一方は自分が得することを追及する人生(それが生きがい)
もう一方は誰かの役に立つことを追及する人生(それも生きがい)

ただ前者はいずれ大切な人の信用を失うかもしれません
そして後者はいずれ大切な人の信用を得るかもしれません

大切な人…自分が本当に心から信用してほしい大切な人です
それはそう多くはないはずです

誰かの喜びが自分の喜びになる
結局人はそこに自分の価値を見出すものではないかと思うのです…

いくら地位や名声があっても誰かの笑顔が傍にない人生は虚しいだけでしょう

会社だってビジネスだって、社会の役に立つから、人が幸せになれるから
人から必要とされるから成り立っているのですから

 

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