人という合わせ鏡からの学び方

今まで、ものすごく苦手な人がいました
多分そういう部分が自分に欠けていたからでしょう

人のそういう部分に鈍感でした
なので嫌な思いをしたときから苦手な人になりました

人の手柄を持って行こうと虎視眈々と狙う人
人の手柄をスキあらば奪おうとする人
人を上手く利用しようと画策するズル賢い人
人に厳しく、あら探しばかりする人
人の人気にあやかって自分も分け前をもらおうとする人
(人気講師の横について自分も人気があると勘違いする人もそう)
等々

いかにもそうであるのが分かりやすい人はまだ可愛いのです
だいたいは顔に出でいますから

一方で怖いのが、一見分かりにくい人のほうです
そっちの方は顔に出しませんから

どんくさいふりをしたり、無能なように見せています
ぶりっこをしたり、かよわいふりをしています
過剰なまでの気遣いをしたり、過剰なまで低姿勢に出たりします
過剰なお世辞を言ったり、過剰なほどモノを贈ったりします

よく観察するとどこか不自然さがあります
本当の自分を見せまいとする演出とでもいうのでしょうか

まあどちらも怖いと言えば怖いのですが
その行動の裏にコンプレックスだったり
強い承認欲求があったりするのが分かるから
そうなってしまう気持ちは、分かる気がします

もちろん気持ちは分かりますが、その行動は受け入れられません

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どんな人にも才能はある

ただ、こういう人たちが持っている才能もあります

それは他人のことをよく観察しているのでよく気がつくということ…
気配り上手とも言えます
観察力があるとも言えます
先手を読む力もあると言えます

才能を良い方向に使えば社長にもなれるでしょう
悪い方向に使えば詐欺師にもなれるでしょう

私は苦手な人たちから逃げることで
苦手な部分を自分に見ないようにしてきたのかもしれません
人は自分に無いものには気がつかないと思うのです

だから罠にはめられたり被害を被ったことによって
嫌な部分に気づくと言うことは何か意味があるのです

多分、学ぶことだと思います

これからはそういった部分の裏の部分も含めてよく観察し、
そこから学ぶこともしなければならないのです

たとえば人のあら探しばかりする人がいます
関西弁で言うところの、すぐいちゃもん付ける人

ただの文句言いから学ぶことは無いかもしれないのですが
人に厳しい人は自分にも厳しかったりします
自分でも努力をしているので、すばらしいスキルを持っている人もいます
すごいキャリアを持っている人もいます

そして常に完成度の高いトップレベルを見ているので
いつまで経っても自分はまだまだだと思っている人もいるでしょう

だからこそ中途半端なものが許せなくて
人のあら探しという形で現れている場合もあります

嫌な部分だけに囚われず本当に学ぶべき事は

そこから学ぶことは…
もちろん常に上を目指す向学心や努力といったものもありますが
もしかしたら、『自分への許可』かもしれません

いつまでも完成度の高さ、クオリティを求めていたら
ずーっと中途半端なレッテルを自分に貼ることになります

完成度では無く今まで自分がやってきたこと
経験してきた道のり、苦労、かけた時間
たまにはそちらに目を向けててもいいのではないかしら

『自分にOKを出す』ことも必要なことでしょう

どこかでそれをしていくと
人のアラでは無く良い部分も見えてきます

まあどちらにしても程度ものなのですが…

他人のある部分は裏の側面からと表の側面から見ることができます

ということで苦手な人からも学んで行くことができます
苦手でもよく見ればなぜそうなったかが分かります

その部分を認め、そこにある良い側面を自分に取り入れることが学びなのでしょう

今までなかったものを取り入れていくと、さらに一歩進んだ自分になれるかもしれません

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