人生は予期していなかったことばかり起こるモノです(少なくとも自分の場合は…)
もちろんその中で方向性は見失わずに地に足をつけて歩んできたつもりですが…
だけど思うように行かないのも、また人生
やりたいことはたくさんありましたが、多忙な中で諦めたこともたくさんあります
けれども手放したわけではなく、心の中には残っていたようです
原点回帰
スタート地点に戻ってきたからでしょうか…
若い時に好きだったこと、やりたかったことをフツフツと思い出してきています
忘れたようで忘れたわけではなかったようです
着物ライフは30年来のやりたいことの実現でした
それ以外にも、忘れていたようなもっと小さなやりたかったことや、好きだったことを思い出し、どんどん本来の自分に戻っている気がします
自分を大切にするということは、自分を喜ばせるということで、それは一時的に何かでごまかすのではなく、魂が喜ぶことを大切にするということなのでしょう
本来の自分が好きだったけど、多忙な日々を送る中で諦め、蓋を閉じ、放置していたことが、まだ自分の中には残っていたと気が付き始めました
例えば模様替え
部屋の模様替えがもともと好きでした
家具の配置を替えるだけで気分が一新され、気持ちが前向きになります
そういうことをここ数十年忘れていました
家具の配置は替えるものでは無い…という思い込みが外れました
例えば裁縫
チクチク縫うことを始め、作ることがもともと好きでした
それなのに多忙な日々の中で、それらはただ面倒な作業に成り下がり、老眼だしもうそれをすることも無いだろう…と、ミシンや裁縫道具や編み針なども手放してしまいました
けれど、半襟をつけていて、面倒だと思っていたこの作業は、もともと好きだったことを思い出しました
お裁縫は面倒でやりたいものでは無い…という思い込みが外れました
観葉植物
これも育てるのが好きでした
なのに、多忙な中家族の世話が優先され手が回らなくなっていましたし、大きく育つと自分では持てなくなり家族に迷惑をかけるので多数を処分しました
ところが、先日シクラメンの小さな鉢を買ってしまいました
仕事部屋に小さなお花や緑があるだけで、嬉しくなることを思い出しました
自分で持てるくらいの小さな鉢なら置いてもいい…
観葉植物を部屋に置いてはいけない…という思い込みが外れました
そして音楽
もともと音楽を聴くことが好きでいつも何かの曲が流れていました
多忙で聴く気にもなれず、デッキが壊れたり古くなっていく中、もう音楽が聴きたいと思う事もないだろうと、色々なモノを処分しました
けれど、先日のクィーンの映画を観てから、当時一生懸命聴いたことが蘇ってきました
そして新しいデッキやお下がりのスピーカー、ウォークマンなどで聴ける環境に整えました
音楽を聴くこともないだろうという思い込みも外れました
そうやって少しずつ自分の好きだったことを思い出していくうちに、年だからもう諦めようとか、今さらもういいかなとか、そんな思い込みや前提がぽろりぽろりと少しずつ外れ、自分を取り戻している気がします
これまで好きにやってきた方なのだと思ってはいましたが、それでもまだまだ制限をかけてきていたことに気付きました
忙しすぎたということもあったのですが、自分で思い込んで制限していると、自分でもそれに気が付かないようになっていくのでしょう
封印してきたものがこんなにたくさんあったのです
そんな小さなところに閉じ込めてきた自分を、これから少しずつ解放したいと思っています
また、この2年間で3家庭分の家財道具を片付けてきました
自分に何かあったときに他人に処分してもらうのは大変です
なので、家具も家財も一切増やしてはならないと制限をかけてきました
なのに、子どもたちが自分の部屋の環境を整え、自分の好みにその空間を作り上げていくのを見て、今現在私は自分好みのモノには一切囲まれてはいないことに気付きました
(勿論お下がりがあるだけでも有り難いのですが・・・)
私も自分が持てる範囲の自分にとっての心地よいモノや、必要なモノは揃えてもいいのではないかしら…
小さな座椅子を買いました
一切増やしてはならないという思い込みが外れました
自分を大切にするということは、自分の魂が喜ぶことを大切にするということです
それは外に求めなくても、まずは自分の環境の中で、自分が心地よいと思うことに自分で気付くことからでいい・・・
家具の配置替えだけでも、心地よい空間ができます
本当に小さな小さな喜びで、誰に見せるわけでもなく地味に一人で楽しむことですが、私はその小さな喜びをこれからの余生でしっかり味わいたいと思います
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