個々が見ている世界がますます別れていく

アメブロのお知らせがいくつか届いていましたが、その中に「ホームに表示される情報がパーソナライズされました」という情報がありました。

それを見たときに感じかことは、ますます個々が見る世界が別れていくということでした。

昭和のメディアが限られていた時代とは、随分かけ離れていきますね。

今の若い子たちはテレビを見ないと言いますし、自分の見たい動画やチャンネルはYouTubeやニコニコ動画で選んでいます。

テレビのチャンネルだって地上波だけではありませんし、地方のメディア、BS、CS、有料チャンネル、様々なチャンネルがあります。

昭和の時代、地上波のテレビ、新聞、ラジオくらいしか無かったことを考えると、メディアだけでも随分たくさんのチャンネルや選択肢があります。

多くの人が同じ情報を共有していた時代から、個々に好きなメディアで好きな情報だけを選ぶ事ができます。

そしてその情報をもとに、今度はスマホやパソコンで広告が表示されますし、アメブロでは「ホームに表示される情報がパーソナライズされました」というような事が起こってきます。

ますます皆んなの目に見える世界がパーソナライズされていく・・・
気づかない間に、そんな時代になっているのです。

私が見ている世界と隣の人が見ている世界が、その「興味・関心」によってどんどん分けられていくのです

あらゆるところで、こうなっていく・・・
それはこれからどのような変化を起こしていくのでしょう。

「興味や関心」で分けられていく時代です。
インスタグラムやピンタレストなども、まさしくそうでしょう。

「興味や関心」でグループが出来ていく・・・そんなイメージでしょうか。

そして興味や関心は一つだけではないので、それぞれがいくつかのグループに所属していくことになります。

その中で情報を共有したり、交換したりして楽しむ人もいれば、その中で好きなこと興味のあることをとことん追求して一番になっていく人もいるでしょう。

もちろん一番になる必要もなく、ゆるく楽しむだけでもいいですし、ストイックに追求してもいいですし、そこに関わる姿勢も個々に違っていいのです。

興味のないことには関わる必要もないですし、そもそもそういう情報は目の前に上がってきません。

スマホやパソコンを持たない、余計な情報を入れないという選択をされる方々もいらっしゃいます。

入ってくる情報はそれぞれに選択できるということは、見ている世界は個々にますます異なっていくのでしょう。

なんだか今のこの状況を俯瞰して見ていると、義務教育という教育そのものがナンセンスに思えてなりません。

教科書という全員同じツールで同じ世界を見せられる・・・

大人はとことん興味のある世界に入っていくのに、教育現場では興味のないことまで広く浅く勉強することを押し付けられる・・・

なんでも吸収できる子どもこそ、その貴重なときにもっともっと好奇心を育て、興味や関心のあることを追求できる環境においてあげてほしい・・・

その機会を奪っておいて、大人になってから好きなことをやれというのだから、ものすごく矛盾を感じます。

きっと今の子どもたちの方が、矛盾も疑問ももう分かっているのかもしれません。
大人より見えている世界は広いかもしれません。

逆に言えば、昭和生まれの、アラフィフ、アラカンの方が遅れているのかもしれません。一方的に押し付けられている情報でしか、世界を認識していないのかもしれませんから・・・

自分からより多くの情報を取りに行かないと、興味や関心によってパーソナライズされた情報しか与えてもらえないと、認識している世界はもしかしららものすごく狭いものになっているかもしれませんので。

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