木内鶴彦氏の本が想像を超えすぎていて面白いと思った件

今年の春ごろだったかしら
知人のフェイスブックで見かけた本が気になって、思わず即購入したのがこちらの本でした

木内鶴彦氏の著書

生き方は星空が教えてくれる

進めたご本人を知っているから気になりました
そして一気に読んだ感想は…

うーん想像をはるかに超える!!
こんな世界観ってどう?

スケールが違い過ぎて・・・
きっと誰もがすごい想像力と思うだろう

だってこの著者、コメットハンターなのだけど
何度も死にかけた際に、好奇心から宇宙の誕生を見てきた方

経歴も普通じゃありません!

最初は、眉唾もので普通の感覚なら『は?そんなの完全にフィクションでしょ』
となっても不思議ではないし…

フィクションにしても、面白すぎる世界観があって、本は一気に読み終えてしまいました

で、読み終えてすぐに今度はググってみました
『木内鶴彦』と入力するとすぐに 嘘、太古の水…とか出てくるし…

結局高いお水を売っている人なのかしら??
あーなんかスピ系のグループの方かしら??
でも講演会もある!

と思わず講演会を調べてしまい、なんと近々大阪で開催される情報を発見してしまいました

そしてフェイスブックで本を紹介して下さった方にその情報をお伝えし
一緒に木内鶴彦氏の講演会に足を運ぶこととなりました

木内氏のお話しがまた面白くて面白くて
思わず購入した本と一緒に写真を撮って頂きました!

木内鶴彦様との写真

こんな行動は滅多にしないのですが…

直感来たら即行動!でした
そして会場で気が付いたのですが…
この講演会を主催していた会社が関係する次の日の京都のイベントのチラシがありました

そのイベントのチケットを私は数か月前に、あるセミナーで一緒になった方から購入していたのです
偶然なのか必然なのか…驚きました
ここまでするするっと来たのも何か意味があったのかもしれませんね

まあ、だからといって木内氏を追っかけはしていませんのであしからず

でも、想像を超える世界観があっても良いと思うのです
気になる方は、ぜひ本を読んでみてください

木内鶴彦氏の著書

生き方は星空が教えてくれる

人という合わせ鏡からの学び方

今まで、ものすごく苦手な人がいました
多分そういう部分が自分に欠けていたからでしょう

人のそういう部分に鈍感でした
なので嫌な思いをしたときから苦手な人になりました

人の手柄を持って行こうと虎視眈々と狙う人
人の手柄をスキあらば奪おうとする人
人を上手く利用しようと画策するズル賢い人
人に厳しく、あら探しばかりする人
人の人気にあやかって自分も分け前をもらおうとする人
(人気講師の横について自分も人気があると勘違いする人もそう)
等々

いかにもそうであるのが分かりやすい人はまだ可愛いのです
だいたいは顔に出でいますから

一方で怖いのが、一見分かりにくい人のほうです
そっちの方は顔に出しませんから

どんくさいふりをしたり、無能なように見せています
ぶりっこをしたり、かよわいふりをしています
過剰なまでの気遣いをしたり、過剰なまで低姿勢に出たりします
過剰なお世辞を言ったり、過剰なほどモノを贈ったりします

よく観察するとどこか不自然さがあります
本当の自分を見せまいとする演出とでもいうのでしょうか

まあどちらも怖いと言えば怖いのですが
その行動の裏にコンプレックスだったり
強い承認欲求があったりするのが分かるから
そうなってしまう気持ちは、分かる気がします

もちろん気持ちは分かりますが、その行動は受け入れられません

スポンサーリンク



どんな人にも才能はある

ただ、こういう人たちが持っている才能もあります

それは他人のことをよく観察しているのでよく気がつくということ…
気配り上手とも言えます
観察力があるとも言えます
先手を読む力もあると言えます

才能を良い方向に使えば社長にもなれるでしょう
悪い方向に使えば詐欺師にもなれるでしょう

私は苦手な人たちから逃げることで
苦手な部分を自分に見ないようにしてきたのかもしれません
人は自分に無いものには気がつかないと思うのです

だから罠にはめられたり被害を被ったことによって
嫌な部分に気づくと言うことは何か意味があるのです

多分、学ぶことだと思います

これからはそういった部分の裏の部分も含めてよく観察し、
そこから学ぶこともしなければならないのです

たとえば人のあら探しばかりする人がいます
関西弁で言うところの、すぐいちゃもん付ける人

ただの文句言いから学ぶことは無いかもしれないのですが
人に厳しい人は自分にも厳しかったりします
自分でも努力をしているので、すばらしいスキルを持っている人もいます
すごいキャリアを持っている人もいます

そして常に完成度の高いトップレベルを見ているので
いつまで経っても自分はまだまだだと思っている人もいるでしょう

だからこそ中途半端なものが許せなくて
人のあら探しという形で現れている場合もあります

嫌な部分だけに囚われず本当に学ぶべき事は

そこから学ぶことは…
もちろん常に上を目指す向学心や努力といったものもありますが
もしかしたら、『自分への許可』かもしれません

いつまでも完成度の高さ、クオリティを求めていたら
ずーっと中途半端なレッテルを自分に貼ることになります

完成度では無く今まで自分がやってきたこと
経験してきた道のり、苦労、かけた時間
たまにはそちらに目を向けててもいいのではないかしら

『自分にOKを出す』ことも必要なことでしょう

どこかでそれをしていくと
人のアラでは無く良い部分も見えてきます

まあどちらにしても程度ものなのですが…

他人のある部分は裏の側面からと表の側面から見ることができます

ということで苦手な人からも学んで行くことができます
苦手でもよく見ればなぜそうなったかが分かります

その部分を認め、そこにある良い側面を自分に取り入れることが学びなのでしょう

今までなかったものを取り入れていくと、さらに一歩進んだ自分になれるかもしれません

各種セミナーや勉強会の情報は上記をクリックしてください
WEB関係の勉強会だけで無く
最初の一歩を踏み出すため
想像を超える未来を創造していきましょう

スポンサーリンク



2つのエネルギーの方向を知る

ずっと前(20年以上前)にある事情で
あるコミュニティーから排除されたことがあります

そういう経験があってか
あれ?世間ってそういうもんなんや…
まあ、どこにも属さなくていいけど

そんな感じでいたので私は自分が、
グループに所属するのが苦手だと思っていました

それは勘違いでした

今から考えると全くの勘違いです
人は何かをするうちにグループに所属しているものでしょう

日本国グループに所属しています
日本語・大阪弁グループです
地域のグループにも所属していますし役員もやります

同じ共通の学びをするグループにもいますし
同じ活動をするグループにもいます
同じ目的があるのはときには励みにもなります

ということはグループに所属するのが苦手なわけではなかったということです

苦手の正体は

グループに所属するのが苦手なのではなく

グループが制限をして窮屈と感じる時
グループの方向性が排他的と感じる時
そうなった時が苦手なのでした

人はあちこちのグループに所属して学び、楽しみ、生活をしていくものです

私の場合はそれはゆるいものでいいと思っています

知らずのうちにグループが出来上がっている場合もあります
だれかがこの指とまれ的にあげた指に集まっっていたり
似たような活動をしているうちに接点が重なって行ったり

後から考えるとあの時期しかないグループもあったと思います

普通であればそれは良いように機能します
またオープンでもあります

だって自然発生的なグループですから

来ても来なくてもいい
いつ行ってもいい
それぞれの、それなりの関わり方でいい

オープンな外に向かうエネルギーがそこにあるように感じます

スポンサーリンク



グループのエネルギーが変わる時

グループのエネルギーが変わる時があります

誰かが自分の目的のために利用し始めたりすると
目的に合わない人は外されることになります

そうなるとエネルギーが内側に向かいます
閉鎖的になっていきます

突如一方的に誰かを排除したりします

私が苦手だったのはそういうグループかもしれません
10代の頃、教室にいるためには女の子は特にグループが必要でした

そういうグループは一見結束力が高いようでいて
排他的で見えない縛りがあり
誰かが自分の目的のために操っているようなところがありました

そんな年代でもフリーでオープンな人もいましたが…

10代の経験と20年前の経験から学んだこと

絶対的にどこかに所属しなければという考えはありません

自分のやりたい事はやりたいようにやればいいし
同じ目的があって自然に集まるグループは居心地がいいと思っています

私が居たいのはこのフリーでオープンな世界観のある場所です
自分の利益のために、ではなく…

自己犠牲でもなく…
誰かのために…であったり、他の命のために…であったり

また誰かを犠牲にするのでもなく…

共に今その時を楽しみながら幸せになれればいい
そんな感じで【ジョイライフ】を動かします

大きく分けて2種類のエネルギーがあること
そしてこの先見事に分かれていくことを
それが昨年から始まっていることを
改めて感じています

ということはこの先選択する物事は
自分がどちらに属したいのかをしっかり感じていくことが大切かもしれません

あ、それはそれぞれの学びなので
どちらが良くてどちらが悪いというものではありません

さて、遥か昔のことを思い返しながら…
女子って10代で覚えたことを30代でも40代でもやる
そんな生き物なのかもなぁ…

三つ子の魂100までとはよく言ったものだと感じます

スポンサーリンク



超常現象は大抵特別ではない

先日テレビで見たミディアム(=霊能者)についての番組が結構話題になっていました

で辛口の意見をブログに書きました(特定の人からは嫌がられるかもしれません)

確かにその能力は見方によっては凄いかもしれませんが…
あの程度の能力なら、自己申告しないだけで持っている人はたくさんいるだろう
・・・と思ったのが私の感想です

そう…それをすごいとも思っていないので、敢えて言わないだけで・・・

生きている人間はそれぞれに自分の世界を持っていて、目に見えないところでは皆繋がっています
(その説明はまたの機会に・・・)
皆意識していないだけです
必要な時には無意識のうちに繋がっていたりします

そして目の前の人の思念やモノに残った想念などは情報としてどこかで受け取っています
それを敢えて読み取ろうとすることに慣れていないだけです

で私の経験では、そんな力全く無いわ!と言っている人ほど普段の生活の中で、必要な時にその力を驚くほど賢く無意識に使っています

だから霊視というけれど…
実は目の前の人が持っている情報や、その人が誰かの生前に本人から受け取っていた情報を、読み取っているだけなのでは?と感じています

そしてそこに観察力という能力も使って、質問や会話の中からしっかり答えを導き出すのでしょう

数年前に好奇心からチャネリングやリーディングを学んだことがりますが
ものすごく期待したけれど・・・それって普通のことだろう!というのが感想でした
それを敢えてすごいことの様に位置づけるのがお商売なわけでして・・・

だからTVのミディアムさんは見せるのに長けていたか、敏腕プロデューサーがいたのでしょう
あの程度の力を持っている人は世界中にいっぱいいるはずです

怖いのは生きている人の方

そもそも私は霊能者・霊視という言葉が好きではありません
『霊』と付けるとおどろおどろしい感じがしますから・・・

魂や人の想いは本来怖いモノではありません
怖いのは生きている時の執着心とかエゴの方です

だいたい霊が怖いというのは怖がらせたい人のエゴでしょう
その世界がある方が都合がいい人の・・・

また逆にそれを怖いと思う人は怖いと思う原因が自分の中にあるのではないかしら
だからよからぬ輩に引っかかるのです

>>見えない事を逆手に取るのがお商売

心にやましいことがある人は特定の相手に出会ったときに心を見透かされるようで怖いと言います
実際私は小狡い人には怖いと言われます

自分にやましいことがあるから相手を悪者にする心理です

『やましい人ほど先にキレるんですよね』とは税理士さんに訊いたことがあります
これも自分にやましいことがあるから相手を悪者にして先にキレる心理です
相続争いの場で何度も見てきたそうです

私自身は霊より生きている人のエゴや執着心の方がはるかに怖い!
人を悪者にするし、陥れるし、キレるし、怖がらせるし・・・まったくもって関わりたくありません

スポンサーリンク



人は説明の付かない事は考えないことにしがち

育児相談をして時、小さな子どもや赤ちゃんには大人に見えていないモノが見えている、という体験話をよく聞きました

3歳までの子どもと3歳以降の子どもの意識は違うところにあると思っています
上手く説明できませんが
3歳以降は意識が身体にしっかり入っている感覚です

私自身0歳の時の特定の記憶がありますが、そのときの意識は生まれる前に存在していたのかもしれないどこかの空間を必死で思い出そうとしていました

子どもの時ほど身体から意識が離れやすいのかもしれません
そして肉体の目では見えないモノが見えるのかもしれません

子どものそんな様子を経験している親は結構います
でも結局説明のつかないことは考えないことにするしかないのでしょう

日常に存在する超常現象

予知夢や虫の知らせだって考えたら説明がつかないのだから超常現象といえます
でも人は体験していても深く考えないのです

私自身、物心ついたときから予知夢などの時空を超えた夢は見てきましたし
身近な人や動物の死は夢で予期することもあるのだと自覚したのは10代の頃でした

もちろんこれは私の世界で起こっている事で他の人の世界の事は知りません

けれどオーラが見える人、赤ちゃんの時の記憶がある人、幽体離脱を経験している人など
敢えて言わないだけで説明のつかない体験を持っている人は結構います

なぜ言わないのかというと、言って特別に思われるのが嫌なのでしょう

私もそうでしたが、亡くなった直後の方の姿を見たことを(亡くなったと知らなかったので)、思わず母に伝えたらその後大騒ぎされたことが、ものすごく嫌でした
二度と言わない!と思いました

霊が居ないとは言いませんが
見えるのはその人の世界で起こっている事で特別なことではありません

目に見えていることだけしか見ないことの危険

見えない事、科学を超える事は存在するし、むしろ超常現象は普通の事と思った方がいいでしょう

『見えるってすごい、力があるってすごい』と思うと、その力を格上にし自分たちを格下にしてしまいます
そして言葉巧みにお金を巻き上げられます

それが必要な人もいるでしょうし、特定の能力を正しく使って、もちつもたれつしてお金が回るのは悪いことではありません

ただ・・・やみくもにすごい!と信じるのはどうかと思うのです
誰にでも本当は見えるだけでなく、しっかり感じる力があります

相手の言葉の真偽など本当は分かっているときもあるでしょう
どこかでおかしいとは思っていた・・・ということがありますよね

私もオーラが見える人ってすごい、私には見えない、自分には何の力もないと思っていました
好奇心で様々なセミナーに参加したこともあります

あるとき自分にはしっかりビジョンが見えるということを自覚しました
それから自分の感覚を信じることができるようになりました

私にとっての何が偽物で何がそうでないかは自分自身が知っています
見せかけだけの権威に真っ向から抵抗したこともあります

お商売上手な人は見せることに長けている人でもあります
そんな人に出会ったときに自分の感覚を信じることができたら騙されないと思います

最初に書いたミディアムのことが話題になっていると知ったとき
ああこれもまたお商売に利用されるのだろうな・・・と思いました

学校教育より大切かもしれないこと

前々から思っていたことですが・・・

自分の中の声を聞いたり感じたりする体験や、非言語コミュニケーション体験
情報は五感で読み取っていることを体験する場

超常現象と言われる日常が、普通にあるという話を共有する場
自分の得意な感覚で目に見えないことを感じていることを体験する場

そんな場や機会がもっとあればいいのにと思っていました
生きていくためには大切なことです

騙されないために
依存しないために
洗脳されないために
自分を見失わないために

自分の内なる感覚に正直になれば
自分の魂の言葉をちゃんと聞くことができれば
答えをいつまでも外に探すのではなく
自分の人生をしっかり生きることができるのでは・・・
皆が幸せになるのでは・・・と思います

 

スポンサーリンク



ジョイライフの考える開運について

開運ミラクル講座として藤本典子先生の講座を開催していただきます

また現在進行形でアニマルコミュニケーション講座を開催して頂いています
>>初めてのアニマルコミュニケーション体験の衝撃

今までもこれからも皆さんが自分のお仕事や役割が上手くいくようにと応援しております

私の考える開運とは・・・
単に楽して得した!というのではありません

欲しいものが勝手にどんどん手に入るというものでもありません
災難を避けて通れたというものでもありません

欲しいものを手に入れるために動くことが出来る力や知恵がつくことであったり・・・
災難を避けることができなくても乗り越えてその先へ進む力がつくことだったり・・・

またそのために助けてくれる人が現れることであったり・・・
もちろんその為にはそれまでに自分自身も誰かの役に立っていなければなりません
でなければ誰も助けてくれません

ということは自分に取って大切な行動がまずあって、その先に必要な情報やご縁があるということです

まあ大体どのような行動も無意味なことは無いので無駄にはならないのですが・・・
時には回り道してしまって、あまり思った結果につながらなかったということもあります

また頭で思うばかりで行動が伴わない場合もあります

なので開運するということは
効率よく行動できる力が身につくことから始まるのではと思っています

効率よくといってもそれは結果から見た場合ですのであしからず
自分の得のために効率よく行動するというのとは次元が異なります

心の声を聞くことと開運は繋がっている

なんとなく気になってたけど、行って良かった
何に役立つか分からなかったけど、やってて良かった

そのサイクルが早くなっていくことを開運というのではないでしょうか?

そのためには、まず自分の中の感覚を磨き、それを信じて、自分の声をしっかり聞くことができるようになることです

自分の声に従ってなんとなく取った行動は、その先に繋がっていきます
その先に繋がっていくから必要な情報やご縁に巡り会えるようになります

もしそこで終わってしまうのなら、その先に繋がらないのなら、まだそのタイミングではないのかもしれませんし・・・
その行動そのものが心の声ではなく、頭で考えた「得な方の行動」だったのかもしれません

 
スポンサーリンク



大人ほど本当の自分の気持ちが分からない

心の声は大人になればなるほど聞こえなくなっていくものです
常識に洗脳されるのと、やはり賢い大人は損得で行動を決める部分もありますから

損か得かで考えたら、全然損だけど、皆が喜ぶからそれが嬉しくてついついやっている
または自分が心からやりたいからただ没頭している

心の声に従っている人は誰に言われなくてもやっています
また誰に言わなくてもやっています
人知れずやっています(人に言うためにやっているのではありませんから)

自分の中の感覚を磨き、それを信じて、自分の声をしっかり聞く
そしてそこから自分の使命や役割に気づき、心から行動したいと思うでしょう

また自分の感覚を信じて取った行動は、その先に続いていくでしょう
一見無駄なように見えて、無駄が全く無くなっていくでしょう

開運していくということはそういうことだと思っています

開運していく人は、知らず知らず良いご縁に繋がる行動を日常生活の中で取っています
(決して打算的ではなく・・・です)

金運アップも考え方は同じこと

たとえば金運アップ!といっても、ただでお金が手に入るという事では無いと思っています

私欲に走らず、無駄使いをせず、締めるところは締め、足るを知り感謝すること

自分の得だけで無く社会の得、相手の得も考えた気持ちの良いお金のやりとりができること
損得では無く、相手を敬い、心地よく支払い、心地よく受け取ること

その先に結果として金運が良く回っていく事であると思っています

決して独り占めすること、溜め込むことでは無いでしょう

私欲を捨てて、直感を信じ、声を聞くこと

アニマルコミュニケーション講座では自分の感じている感覚を再確認させていただきました
元々持っていたときどき視る力を信じることができました

私は日本の神様だけが神様だとは思っていません
自分と宇宙と他の存在とのつながりを信じています

藤本典子先生の講座は藤本先生だから開運していきたい方にお勧めしています
絵を学ぶことも大変興味深いのですが、この方の生き方から学ぶことが多いのです

ストイックなほど他の方のために動かれます
だから開運して行かれるのは当然です

神様の絵を描きながら、1日講座の中でお話を伺うことそのものが実は開運ミラクル講座です
そして『石清水八幡宮 (応神天皇・ホムタワケの命)』
この神様は、人生の勝負どころで勝ち、開運する功徳があるそうですよ
>>こちらが講座の案内です

またご縁のある方々の夢・未来を創造するきっかけになるようなことを今後もしてまいります

直感や自分の感覚に気づく体験会や、常識からちょっと離れたお話会など
これから開催していきたいと思います

私の遊び心の赴くままに・・・
今後ともよろしくお願いいたします

 
スポンサーリンク



先日準備したドリンクについて

先日、高槻会場でお話し会を開催しました。

暑い中ご来場頂く方々のために、簡単ではありますがドリンク類を用意しました。

今回はこのような感じです。

夏の昆布茶は胃に優しくて私の好みです。

季節に応じて何か用意しておきます。

常時いるわけではありませんが…
日中であればメッセージでご確認の上、お立ち寄りくださいませ。

時々お話し会も開催しています。

>>こちらでご確認くださいね(クリック!)

阪急総持寺駅より徒歩約7,8分です。

>>道順はこちらです(クリック!)

JR摂津富田駅より徒歩約18分

阪急富田駅より徒歩約12分(1.1キロ)

 

スポンサーリンク




本物・オリジナルと偽物・パクりの決定的な違い

世の中には『本物』『元祖』『オリジナル』と言われるモノと
『偽物』『贋作』『コピー品』『模造品』というパクりがあります

作り方やデザインややり方は徹底的に真似したらそれらしくコピーできます

決定的な違いは、最初にこめられている『想い』
それに対する『純粋な想い』『情熱』『愛情』『感動』

そこまでの行程、道のり、注いだ熱意、かけた時間
それらが決定的に違います

あと見えないモノとして
そこから発せられる『波動』がもしかしたら違うかもしれません

オリジナルは見る人が見たら、目を引くでしょうし
洗練されていない部分もあるかもしれません

それでもなんとなく引き寄せられるでしょうし
心打つ何かがあるかもしれません

そんな心惹かれた人の中には
真似する人も多いのでしょう

パクり品は、一件目を引くかもしれませんが
なんとなく小さくきれいにまとまっているでしょう

一生懸命作ろうとした熱意より
一生懸命お金儲けしようとした悪意が伝わるかもしれません

世間の素晴らしいモノには必ずと言ってパクられる運命が待っています

ヒットした商品も同様で必ず模造品が出てきます
アイデアや手法なども同じです

結局決定的な違いは『心』がどこにあるかでしょう

心の無い人は表面だけ見て上手にせっせとコピーするでしょう
5年、10年かけてできあがったものの表面だけコピーしても
中身が全然ありません

上手くいっている人を妬む人は一生懸命観察して真似をするでしょう
自分がその人を見るように、もしかしたらそれ以上に自分を上手く見せるでしょう

人気のあるところが羨ましい人はそこに寄ってきてその名声に集るでしょう
苦労せずに自分も同じところに行けたような錯覚が欲しくて

恥を知らない人はこの世にいっぱいいます
でも所詮オリジナルには叶いません

どうせなら『本物』からちゃんと習って
そこから自分のオリジナルを作り出していく方がはるかにいいと思うのですが…

『本物』はしっかり教えたり、伝えたりしていると思うのです

まっとうな方法で自分も相手も周りも幸せになる道を選びたい
そんなことを思います

『本物』にしか出来ない想いと手段を教える事は与えられた使命かもしれません

本物、元祖、オリジナルを持っている人はどうせパクられるなら
いっそ想いや形を大事にしてくれる人に教える方がいいのかもしれません

しっかり伝え学んでもらい
そしてそこから今度はオリジナルを作りだしてもらう事も大切です

次世代の新たなモノが創造されていく
その足がかりとなる環境を作ると自覚すれば
その人にしか出来ない責任も役割もあるように思います

人は過去の人から学び後世に伝えていくことを繰り返してきたのですから

本物、元祖、オリジナルはパクられることを超えた使命があるのかもしれません

 

スポンサーリンク




 

先週と今週に感じる『終わりと始まり』2017年7月25日

昨年末に大きなものを処分することを決め、そこからようやくあちらもこちらも片付きました(正確には明日で最後)

今年初めには夏至までになんとかなりそうな予感はしていましたし、大体その通りにはなりました

愛猫を見送ったり、身体の不調という予想外の出来事もありました

一年前にやりたいことを100個ほど書き綴った中の、ハードルの高かったいくつかはいつのまにか実現しています

思えば昨年の夏至あたりに、流れというか大きな渦のようなものを感覚的に感じていました
(感覚だから感じるものなのですが、うまい表現が見つかりません)

そして今もそれはあって、先週と今週で『終わりと始まり』を感じています
(これもうまく表現できません)

ただ、確かに目に見えない流れというか渦というものがあります

 




変化の兆しと大きな渦(流れ)

昨年の夏至の前後の出来事にそれ(変化の兆し)を感じ、手探りで進み続けてきて結果今に至ります

私の場合はこの7年止まっていたものを、この流れで動かせたことはものすごく大きな変化でした
これに乗ろうと頑張った?いや意識をそちらに向けたからでしょう

そして自分の力だけでは出来なかったでしょう

つくづく思うことは、自分一人では何もできないということです
人から学んだことも多いですし、人が誘ってくれたこともありますし、おつきあいくださったこともあります
それは全て誰かがそこにいてださったから出来たことです

だから人のご縁って本当にすごいと思うのです

私たちはまず目の前の人、繋がっている人、これから繋がる人に、自分の世界に関わってくれてきた人、関わってくれている人たちに、いっぱい感謝しなければなりません

ご先祖様、神様も大切だし、まず生きることができる自然や地球や宇宙が在ることにも感謝なのですが
それは常に深い意識のところで感じていることで
まずは目の前の人に、同じくらい感謝を忘れず伝えなければならないと思います

これからもおそらくまだまだ良いこともあるでしょう
まだまだ悪いこともあるでしょう
人とのつながりの中でいろんな事も学ばなければならないでしょう

私もまた誰かの人生に良くも悪くもいろんな役割をさせていただくことでしょう
そうやって向かう世界が良いものになっていくことを願っています

今はようやくスタート地点です

焦らず人と比べずに、マイペースで自分の心と気持ちを大切にこれからも歩んでいきたいと思います

どうぞ今後とも新たに進んでいくジョイライフをよろしくお願いいたします

 




損得勘定だけで動く人生から見えてくる行く末の大きな違い

人のふり見て我がふり直せと言いますが…

損得勘定だけで動くと結局損をしているのではないかしら?
と感じる場面に出会う事もあります

一銭にもならないことは損…
そんな固定概念を持っていると世界は広がらない
そう思っています

人生は一度きり
まずは経験すること、体験することに意義があります

そして本来自分の好奇心、ワクワク感、楽しみ、面白いと感じる気持ち
そういったところから掘り下げていく
どんどんハマっていく
そこに人生の目的があるように思います

きっと他人からみると
全然役にも立たない事かも知れません
全然一銭の得にもならない事かも知れません

 

スポンサーリンク



物事の価値基準をどこに置くか

頭だけで…
損得だけで…
物事の価値基準を置いてしまうと
お仕事でもボランティアでも
儲かりそうだからやる、自分の役に立ちそうだからやる
そこばかりに目が行きがちです
どこまでも自分主体の目線からしか物事を捉えることができません

それでは人としての枠が広がらないのではないかしら
また結局本当に心からやりたいことをやっていないのではないかしら
人生を本当の意味で楽しむことが出来ないかも…
そんなことを感じています

勿論最初は自分にとって得な事
そこから入ってもいいと思うのです
そしてやっていくうちにどんどんハマって
損得どうでもいいからやりたい!
そう思えたら最初は損得勘定だったとしても
それはそれで一つのきっかけになるのですから

損得勘定が悪いというわけではない

私だってあちらのスーパーよりこちらのスーパーで買う方が得!
などの節約はしますので…
お買いものする時に損か得かの判断は家計にとっては必要です

ただ自分の得ばかり意識が行きやたら値切るのはちょっと違います
対価交換はモノとお金、いわばエネルギーの交換です
値切ることで片方のエネルギーを下げてしまうのではなく
そこはお互い気持ちよく交換するものだと思います

この世は循環世界です
モノもお金も感情も全て循環しています
同じ循環をするのなら気持ちよく次へ繋ぐことが
結局のところ巡り巡って自分のためでもあります

そこに自分と社会がどう関わりたいのかの姿勢が現れてきます

自分の得と社会の得

あと自分がどう動いたら人にどう思われて得なのか…
そこばかりに意識が行く人は近づくと怖いかもしれません
平気で人をはめたり、いいとこ取りしたりしますので

結局自分の得だけに意識が行く人は社会の得にまで意識が行きません
自分は損してまで社会の得に貢献しようとはしません

ただもし名声が付いてくるなら一見損してまで貢献している自分をアピールはします
人を踏み台にしてまで社会的な地位を掴んでいきます
社会貢献している姿を利用して信用を得ようとします

ここが見極めるのが難しい所かもしれません

私の周りの本当の意味での社会に何がしかの貢献をしている人は
結構地味なところで10年も20年も活動をしてこられています
自ら人にアピールすることもしていません

本物は目立たないところでやるべきことをやっています

だからSNSなどで派手にアピールする事へ抵抗があります

どちらも自分のやりたいことをやっているに過ぎないのですが…
一方は自分が得することを追及する人生(それが生きがい)
もう一方は誰かの役に立つことを追及する人生(それも生きがい)

ただ前者はいずれ大切な人の信用を失うかもしれません
そして後者はいずれ大切な人の信用を得るかもしれません

大切な人…自分が本当に心から信用してほしい大切な人です
それはそう多くはないはずです

誰かの喜びが自分の喜びになる
結局人はそこに自分の価値を見出すものではないかと思うのです…

いくら地位や名声があっても誰かの笑顔が傍にない人生は虚しいだけでしょう

会社だってビジネスだって、社会の役に立つから、人が幸せになれるから
人から必要とされるから成り立っているのですから

 

スポンサーリンク



変わる事を決めて動くと変わり始める

2月最後の一週間は変わること、変えること
それを決めて、無理やりにでも形をつくる一週間だった

形から入るのは結構効果がある
まずやると決める形…

まだ全然形にもなっていないのだけど
もう自分の心向くままのやり方の方が絶対いい

■夢実現のお話会
■小さな起業の相談会

それだけは継続して定期開催していこうと決めた
誰かがお話に来てくれたら嬉しいし…

>>こちらのページに詳細載せました

詳細と言ってもまだ申込フォームもできてない
日程の予告だけ

そして変えたい!変えたい!と思っていたことがまだある

常識的なやり方をしたくなかった

皆が普通と思っていることを当たり前と思わない方がいい

ものすごく天邪鬼かもしれないけれど
私がどうしたいか!の方が大切

私は先に自分の『心の有り方』を考えたい
心のあり方はすごく大切で、その後の行動を決める元になる

で私の心の有り方としては…
今持っているモノに感謝するところから入る方が先!

今、すでに恵まれていることにまず感謝したら…
先に『貰おう!』『貰って当然!』じゃなくて
まず自分から『与えよう!』って気持ちになる

先に与えるから、入ってくるのであって
いま自分が恵まれている感謝の気持ちで満たすことの方が
心のあり方としてはやはり大事なんだと思う

私はもともとそういう感覚でやってきた!
そこがこの数か月の違和感だと気付いた

その違和感が見えながらまだ否定しようとしていた一週間
でも違和感があって当たり前
それが私なんだもの…

もう私のやり方でどんどんやることにした

そうすると流れが変わった!

お花は来るし、スイーツだってやってきた
あ、これはGOサインだと思った

そして今日はお茶会に出かけた
まさしく私の出会いたい人に出会った!

私のやりたいことをやらせてもらう
そして同じ夢を、同じ未来を共有させてもらう

もう確信しかない

 

 

スポンサーリンク



2017-03-02 | カテゴリー : ブログ | 投稿者 : joylifehp